ウラガナ、がんばる! その8「ウラガナ、決意する」



「……ふぇ?」
 意識が戻ったウラガナ中尉に報じられたのは、まず自分の乗っていた
艦が撃沈されたという報告であった。だが、そんな事は判り切ったこと
だ。単なる形式上の確認に過ぎない。
 彼女に間抜けな呟きを漏らさせたのは、その後に続くあまりにあっさ
りとした一言であった。
 その意味する所を把握できない、というようにウラガナは二、三度そ
のまぶたを開閉させる。それからコツンと黒髪の頭を自分で叩き、愛想
笑いを浮かべた。
「す、すみませぇん。私、まだ頭がぼーっとしちゃってるみたいですぅ。
駄目ですねぇ私〜、ぇへへ。あのぉ、すみませんけどぉ、もう一度言っ
ていただけませんかぁ?」
「マ・クベ大佐は、コロニー・テキサス内部の戦闘によって戦死なされ
ました」
 聞き間違えた筈の言葉は、一字一句違える事無く反復された。
「……はぁ?」
「残念です」
 直立した兵士がそう言うと、ウラガナの顔から笑みが失せる。
 いや、もとから彼女は笑ってなどいなかった。
 取り繕った表面上の『笑顔のふり』をやめたに過ぎない。
「そんな……そんな……!」
 月要塞グラナダ基地内の医務室のベッドの上で、そばかすの少女は前
髪を掻きあげ、額を押さえた。
「事実であります。記録にも、はっきりと……」
「で――」
 彼女はシーツを千切らんばかりに握り締め、ふるふると肩を震わせる。
「……大佐の乗ったMSの撃墜された映ぞ」
「――でたらめ言わないでくださぁいぃぃ!!」
 ウラガナは兵士が言い終える前に、自分の叫びでその言をかき消した。
「マ・クベ様が死ぬはずがありませぇん!どうしてそんな嘘をつくので
すかぁ!撃墜記録なんて、そんなの、誤認に決まってますぅぅ!」
 だが兵士は表情を変えずに彼女の主張を否定した。
「――事実です。確かにマ・クベ大佐専用に設計されたMS−15、
ギャンでした」
「……!!」
 彼の、あまりに無感情なその口調に、ウラガナの両目が大きく見開か
れる。
 軍人と言えど戦友や上官、部下の死を認めたがらない者は多い。彼等
はみな一様に、嘘だと叫び報告した相手に怒りを向ける。
 ――こういう奴を見るのは、もう慣れっこだよ――。
 兵士の顔は、そういう顔であった。
 「これは貴方の物ですね?」と、兵士はベッドの側の棚に木箱を置く。
ウラガナは返事をしない。呆けたように棚の上の箱をじっと見つめた。
 己の義務を果たし終えると、兵士は慇懃に敬礼の姿勢を取り、部屋を後
にした。
 ドアの閉じる音が、医務室に鳴り響いた。


「マ・クベ様……」
 しばらくたって、ウラガナの口から、その名前が紡がれた。
「からかってるんですよねぇ……?わたしが、ドジで、おっちょこちょ
いで、マ・クベ様にご迷惑をかけてばっかりだから、意地悪なされている
んですよねぇ……?」
 まるで、大根役者が台本のセリフをなぞるように。抑揚のない声でウラ
ガナは喋った。
「そうですよぅ。マ・クベ様、酷いですぅ……恥かしい格好だけじゃな
くってこんな手の込んだお芝居までなさるなんてぇ。さすがのわたしも、
ちょっとむくれちゃいますよぉ」
 棚にある木箱を、ウラガナは手に取った。
「でもでもぉ、ちょっとこれはバレバレですねぇ。マ・クベ様が大切な壺
を私に預けたままにするなんて、ありっこないですよぉ〜。ぇへへぇ、わ
たしが泣きべそかいて箱を空けたら、びょーんって中からびっくりお人形
さんが飛び出してくるんでしょお?もう、マ・クベ様も、意外と……」
 と、箱の蓋をそっと開ける。
 中には、ひとつの壺が入っていた。
 ウラガナがチベをザクで出る際、入れた時のままであった。あんなに動
き回ったにも関わらず、奇跡のように傷ひとつついていない。
「……なんでぇ……?」
 不可解な物を見るように、ウラガナは呟いた。あってはならない物を見
たように。
 かぱり。ウラガナは木箱の蓋を閉じる。そして、また蓋を持ち上げた。
 やはり、同じ壺があるだけであった。どこぞの物理法則よろしく、中身
が変わったりはしなかった。
 もう一度ウラガナは木箱の蓋を閉じ、再び開ける。
 もう一度。
 もう一度。
 ――箱の中には、やはり、壺が、あるだけだった。
 壺は無垢の光沢を冷たく輝かせ、ウラガナの顔を映していた。
 ぽたっ
 その表面に、ひとつぶ。水滴がついた。
 ぽた ぽた
 二滴、三滴。
 次々に壺に水滴が落ち、流れていく。
「だって、だって……マ・クベ様……まだ、私のお茶を飲まれてませ
んですよぉ……?」
 じわっ、と、両目が熱くなり、目の前の光景が蜃気楼のように揺れ動く。
 そしてすぐに頬を伝って、顎先から水滴がしたたり始めた。
「……マ・クベ様ぁ……私のお茶が……嫌いになってしまわれたん
ですかぁっ……!飲みたいって、おっしゃって……くれたじゃないで
すかぁ……!」
 どっと、彼女は押さえていた感情を溢れさせる。誰もいない部屋で、彼
女は壺に向かって、叫び、喚き、ただ、泣き続けた。
「嘘つき……!嘘つき、嘘つき、嘘つきぃっ!マ・クベ様は……大嘘
つきですぅっ……おお……うそ……つ……」
 そして、彼女は、自分がこの世で最も愛した、今は亡き男の名を呼んだ。
「マ・クベ様、マ・クベ様ぁ……マ・クベ様ぁ……ぁ、ぁぁ……」
 ウラガナが、それ以上もう何も言うことはなかった。


 どれだけ泣いただろうか。
 何度涙が枯れ果てたと思ったろう。
 泣いて、泣いて、泣き尽くした筈なのに、マ・クベの死をふと思い出し
ただけで、また新たな涙は涙腺から湧き出てきた。
 そんな事をどれだけ繰り返したのか――ウラガナはふと、自分がかつ
てマ・クベがいた個室にいる事に気がついた。
 棚の中に並ぶ、数々の美術品。
『見るがいいウラガナ。美しいだろう?芸術というものは、例え人が死の
うが残り続けるものなのだよ。そう、人が為した物は、例えその者が消え
たとしても、生きた証しをはっきりととどめるものなのだ――判るな?』
『はぁい!マ・クベ様ぁ〜!』
 マ・クベと交わした会話を、思い出す。
「でも、マ・クベ様ぁ……見る人がいなくなったら、芸術なんてなんの
意味もありませんよぉ……?」
 マ・クベの美術品を見ていると、ウラガナの心はそれだけで悲しみに満
たされていった。
「わたしは、わたしは、こんな物なんて要りませぇん……!マ・クベ様
が生きて下さっていれば、それだけで……それだけで……」
 また滲んできた涙を堪え、ウラガナは口元を押さえた。
 自分は、これからどうすれば良いのか。
 マ・クベがいない今、もう誰も自分を導いてはくれない。
 自分で何を為すべきなのかも判らない。希望などない。このような空
虚な生になんの意味があるだろうか。
 と。
 コン コン
 ドアが静かにノックされた。
 ウラガナは慌てて涙を拭い「は、はぁいぃ」と返事をした。
 だが一体誰が主無き部屋になど来ようというのか?
 いや、もしかしたら。
 ――ひょっとしたら!?
 ウラガナはドアの取っ手にとびつくと、勢い良く開け放った。
(マ・クベ様!!)
 しかし、そこに立っていたのは、この部屋の主ではなく――スーツ
を身に着けた中年の男であった。
「……ぁ……」
 一瞬だけ光の差した世界が、また暗黒に包まれていく感触を、ウラガ
ナはまざまざと覚えた。
 自分は何を期待していたのか。
 もう、マ・クベは死んだというのに。
 どこまで愚か者なのだろう。
 中年の男は、ウラガナの剣幕と急激な落胆ぶりに面食らっていたよう
であったが、すぐに彼女へ会釈してきた。
「失礼。マ・クベ司令の副官のウラガナ中尉殿ですね?私、こういう者
です」
 と名刺を渡してくる。見た目どおり、軍属ではないようだ。
「はぁ……。ツィマッド社の……?」
 MS製造会社の大手、ツィマッド社。ジオニック社と双璧を為す、あ
のドムを開発したメーカーである。男は、その重役であると名乗った。
「マ・クベ司令には、随分と懇意にしていただきまして……。特に、
ギャンのカスタマイズには私が直接立ち合わせていただきました」
「――そう、ですかぁ」
 ウラガナはだいたい男の用件を悟る事ができた。
 マ・クベがギャンに乗って、連邦のあのガンダムと戦った戦闘データ
を貰いたいとでもいうのだろう。何せ、ギャンは、ジオニック社のゲル
ググと、新規量産MS機種の座を争ったツィマッドの誇る最新鋭MSだ。
「あのぉ、残念ですけど、戦闘データはありませんよぉ……。MSは
跡形も無く爆破されたそうですからぁ……」
 半開きにしたドアの影から恨めしそうに自分を睨む眼鏡の少女に、男
は「と、とんでもない!」と言った。
「その……今回の件は、言わば、その、個人的な用事で」
「……?」
 はにかんだ様にこちらを伺う中年に、ウラガナは怪訝そうな表情を作
った。


「すっ……素晴らしい!これがマ・クベ殿のコレクションか!」
「見るだけですからねぇ〜!触ったらいけませんですよぉ?」
「判っていますとも!や、しかしこれはなんとも」
 男の用件は、以前マ・クベと取り交わしていた約束を果たすためであ
った。即ち、マ・クベのコレクションを拝見すること。どうやら、この
男も相当な東洋芸術マニアであるらしかった。
 男は、飾り立てられた作品群を見た途端、感動に打ち震え出した。
「ややっ、ホクサイだ!おお、こっちの仏像は唐代の物か!?あああっ、
オウ・ギシの書じゃないか!初めて見たぞ!ひーっ、これは銅鏡か!」
 他にもロサンジンだのケイトクチンだのと、作品を見るたびに男は感
涙に浸りながら叫ぶ。ウラガナにはなにがなんだかちっとも判らなかっ
たが。
(男の人って、こういうのが本当に好きなんですねぇ〜)
 やれやれと息をついて、ウラガナは子供のようにうきうきと動き回る
中年を眺めた。
 と。男がある物の前に来た時、とてつもない声を絞り出した。
 「うお」だか「ぎゃあ」だか「ぬあ」だか――そんな悲鳴と驚愕と
感嘆が入り混じった、人間に発音できるのかどうかも怪しい声であった。
「な、なななな、なんですかぁ、いきなりぃ?」
 ウラガナは危うく止まりかけた心臓を押さえると、かくかくと立った
ままで器用に痙攣している男に歩み寄った。
「こっ……これはぁっ!?こ、この壺はぁ〜!?!?!」
「?」
 男が凝視していたのは、ガラスケースの中に入った、丸型の壺であった。
「……これがどうか?」
「る、る、るるるRURUるるルルる、るる、る!」
「『る』?」
「る、る……『ルソンの壺』ッッ!!」
「はぁ、そういうらしいですねぇ〜」
 記憶をたぐり寄せて、首を傾けるウラガナ。と、いきなり中年はウラガ
ナの肩をがっきと掴んで、がくがくと揺らした。
「き、きみィ!ま、マ・クベ殿はいったい、これを、いつ、どこで、誰か
ら、どのように……!?」
「きゃあぁ!?し、知りませぇぇん!?」
 『ルソンの壺』!!(ギャラリー・フェイク風に)
 中世の日本、いわゆる安土桃山時代、琉球から伝来したとされる茶器で
ある!時の太閤ヒデヨシ・トヨトミはこの壺を「人の命より重き器」と評
したと言う!戦国大名達は、こぞってこの壺を奪い合ったというが――
宇宙世紀のこの時代、現存するだけでも奇跡に近い逸品なのである!!
「ああ〜!ま、まさか、生きてこの目に拝めるなんて……!!」
 男は、そわそわとケースの周りをうろつき、外聞も無く下から覗いて見
たり体を横倒しに傾けたりして覗き見る。今にも噛み付きかねない様子の
その男に、ウラガナはいかがわしい眼差しを投げかけていたが――ふと、
ポケットの中の名刺を取り出し、男の背中とそれを見比べた。
「な、な、なあ、中尉!どうだろうか!私に、どうかこの壺を、その、な
んだ。アレだ……ナニしてくれんかね!?か、金に糸目はつけない!」
 あまりの興奮で呂律が回らなくなっている男は、ウラガナへ泣きそうな
顔で何やら懇願してきた。つまりはこの壺を譲ってもらいたい、という事
であろう。
「見るだけといっておきながら、虫のいい話である事は重々承知の上だっ!
だが、だがしかし、ここでこの壺を逃したら、私は一生後悔しながら生き
る事になる!頼むっ!わ、私は、私は……」
 とうとう、男はひざまずいてウラガナに頭を下げ出す始末。
 そして。
「――構いませんですよぉ」
 にぱり、とウラガナは、男に向けて微笑んだ。
「ウソォ!マジィィィィッッ!?」
 これで本当に会社の重役が勤まるのだろうか。男は鼻水まで垂らして、
ウラガナにすがり付いた。まるで女神を讃える様な有様だ。
「ちゅ、中尉!ありがとう!ありがとうございますっ!」
「でもですねぇ、ひとつだけ条件があるですよぉ〜」
 指を立てるウラガナ。
 男はすっかり元の貫禄を取り戻し、背筋を伸ばしてネクタイを締め直
しながらうなずいた。
「ああ、勿論ですとも!どんな条件でも飲みましょう!妻と息子を質に
入れても構いませんよ!」
「……そんなのしなくていいですぅ」
 ウラガナは「では?」と聞いてくる男の耳に、そっと何事かを囁いた。
 それを耳にした中年紳士の顔は――
 再び、この上なく情けないものに変貌を遂げた。


「そうか、マ・クベがな……」
 ジオン公国軍突撃機動軍司令官、キシリア・ザビ少将は机に上に置かれ
た壺を見て、目を閉じた。
「マ・クベは生前私に良くつくしてくれた。その功績もジオンにとって多
大なる物であった――惜しい男を無くしたものだ」
「はいぃ。けれど、マ・クベ様は、けして後悔なさっておられないと思っ
ておりますぅ」
 ウラガナ中尉は、キシリアへ壺を渡せという、マ・クベの最後の命令を
果たす事ができた事に、達成感と一縷の悲しみを感じながら司令部に立っ
ていた。
 司令部の机に腰掛けてウラガナの報告を聞いたキシリアは、言い放った。
「で、それだけか?」
(!)
 それだけなら、もうよい。下がれ。
 椅子に腰掛けるキシリアの眼は、暗にそう言っていた。
 それだけなのか。
 自分を思っていた、マ・クベに対し、それだけの言葉で終えられるとで
も言うのか?
 いや、これはごく当たり前の事だ。死んだ部下の副官に対する言葉であ
るなら。
 だが、ウラガナは言わずにはおれなかった。
 マ・クベが最後まで明かせずにいた、キシリアへの想いを。
「キ、キシリア様ぁ」
「まだ何か?中尉」
 マ・クベ様は、マ・クベ様は……。
 ずっと、あなたの事を!
「宇宙要塞ア・バオア・クーへの援軍――自分も着任させていただけま
せんでしょうかぁ?」
 しかし、ウラガナの唇から出てきたセリフは、まるで異なるそれであった。
「……よかろう。許可しよう」
「ありがとうございますぅ」
 キシリアに、ウラガナは敬礼すると、踵を返して司令部を後にした。
(申し訳ありませぇん、マ・クベ様ぁ……。でも、ウラガナは、ウラガ
ナの口からは……)
「……言えま、せん……ですよぅ」
 廊下を歩きながら、ウラガナは唇を噛んだ。
 これが最後の涙だ。
 そう誓うウラガナの頬に、一筋だけ涙がつたった。



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