第六章 雨のアーリット(後編)



 疾駆するドムの中で、特殊遊撃部隊《バジリスク》隊副官ワイオネル・ジャミン
大尉は、累々と続く友軍MSや戦車の残骸を目の当たりにする。
「やはり相当に堅固なようですな」
 重く告げると『ああ』と返事がかえってきた。
『手強そうだ』
 この状況にあって《バジリスク》隊長バン・ドーン少佐の声は楽しげですらあった。
たまにワイオネルはこの少佐は戦闘という物を愉しんでいるのでは?という疑問に駆ら
れる時がある。命のやり取りをする瞬間を、まるで娯楽のように感じているのではない
か、と。
 そうなのかも知れない。少佐は自分達のような凡人とは何かが違うのだ。
「今回は、どれ程かかりますかな?」
 そんなワイオネルも、自分が笑みを浮かべているのに気付いた。だがその笑みはバン
のそんな様子に頼もしさを覚えてのものだ。
『そうだな――ざっと五分』
 少々間が空いてから答えが返る。
(五分。やはり、貴方は化物ですな)
 「了解」と答えつつ、ワイオネルは胸中で呟いていた。

                  *

「新手だと?」
 アーリット採掘基地司令官代行、エリンギ・レイセン中佐は司令席に深く腰掛けて
マドラス・パイプを咥えたまま、報告したオペレーターを睨んだ。
「は!音紋データの照合によりますと、MS−09、ドムタイプと思われます!」
「スカート野郎か。ふん……ジオンのスペースノイドども奴【め】、随分とこの基地が
欲しいと見える」
 舌打ちしつつパイプを吹かす。
 幾度と無く敵を返り討ちにしてきたこのアーリット採掘基地だが今回の攻撃は前例の
無い激しさで、こちらもだいぶ被害をこうむる羽目になった。弾薬には余裕があるもの
の、兵士の気力はいつまでも続かない。MS部隊も半数にまで減りつつある。今増援を
差し向けられれば、さすがに苦戦は必至だ。
「で、兵力はどのくらいだ」
「はっ!二機であります」
「二機?確かか?」
「はっ、間違い有りません!」
 エリンギは安堵する。一個中隊とでも言うならばともかく、今更二機程度ではこの
防衛線はびくともすまい。
(だが、《スカートつき》の機動力は何にせよ無視できんな)
 パイプを片手に持ち、エリンギ中佐は無線機を口元に寄せ、放送を基地全域に開かせ
た。
「こちら司令室だ。全員よく聞け。ただ今敵の増援がこちらに向かっているとの連絡が
入った。しかし、それはドムがたかだか二機。そう、たったの二機だ。どうやら敵さん
も随分とお困りと見える」
 そこまで言うと、オペレーターの席から幾つか下卑た笑いがこぼれた。これを聞いて
いる基地内の他の場所でも、何人もが同じ様な笑いを漏らしているだろう。エリンギは
更に無線機に続けた。
「こいつらを仕留めれば今回のドンパチは終わりだ。速やかに仕留めた後は美味い飯と
柔らかいベッドが諸君等を待っている。良い目に遭うのは早いほどいい。とっとと片付
けて祝杯をあげるぞ、いいな!」
 司令室に歓声があがる。エリンギはしたり顔で再びマドラス・パイプを咥え、悠々と
紫煙を味わった。

                   *

 トーチカの砲撃が露骨な集中砲火を援軍のドム達に向け出したお陰で、クライフ達は
安全な位置に退避する事が出来た。
「くそっ、何とか動かせる程度か……!」
 クライフはザクのマニピュレイターを開閉させたりさせて具合を見る。さすがに動き
が鈍くなっているようだ。
「チムル、そっちのドムはどうだ!?」
『……』
「おい!
 怒鳴ってみるが、モニターの向こうの友人は何か呆けたような表情で別の物に見入っ
ている。
「チムル?」
『クライフ。見ろよ、アレを……凄えモンが見れるぜ』
「?……!……!?」
 言われるままにザクのモノアイを向けたクライフは、まずその砲弾の量に息を呑ん
だ。今頃になってまだこれだけの弾薬を放出できる連邦の物量に戦慄する。だが直に、
チムルが指しているのはそんな物ではないという事が判った。
 その砲撃の中を、二つのドムが駆け抜けていた。
「か、完全に避けてる……!」
 まるでスケーティングでもするかのごとく、華麗な動きでドムの巨体が高速で走って
いた。自分達をあれほど苦しめたトーチカ群から放たれる砲弾やビーム砲が、かすりも
しない。
「ド、ドムってのは、あんな動きが出来るモンなのか?」
 同じドムに乗ったチムルに尋ねると、彼は苦々しく言った。
『冗談じゃねぇっ、あんなに機体をぶん回して体が持つかよ!無茶苦茶だぜ、あいつ
等!絶対イカレてるぜ……』
 ドムは最大時速300キロメートル近くまでの加速が可能と言われているが、そんな
スピードでの戦いなどはパイロットの肉体と反射神経が追いつくまい。だが二機のドム
に乗っているパイロットは、そんなドムの性能をギリギリまで引き出しているようだっ
た。
 しかし、そんな神業の中でも、この弾頭の渦では回避運動が精一杯のようだ。ドム達
は手にしたジャイアント・バズを一発も放っていない。
「くそっ、ザクが動けば……!」
 拳を握り締めるクライフ。再び沸き立つ闘志を振るえぬもどかしさに、膝を殴りつけ
た。

                 *

 モニターを眺めていたエリンギ中佐の笑みは次第に薄れていき、焦りの色に染まって
いった。汗ばんだ額を拭うために軍帽を脱ぐとコンソールの脇に置いて、うめく。
「……ど、どういう事だ……?」
 モニターに映る二機のドムにいつまでたっても砲撃が当たらない。部下達の腕は十分
把握している上で、指示をとばしたつもりだ。だが、あのドムの動きは、エリンギが今
までに見たことも無い物だった。
「貴様等ッ、何をしているか!たかだか二機のドムではないか!」
「はっ!しかし中佐……」
「ええい、黙れ!」
「は、はっ!申し訳有りません!」
 意味の無い怒鳴りをあげる自分に苛立ちながら、エリンギは帽子を被り直した。
(なんという手練れだ――いかに万全でないとはいえ、たった二機で我が守備部隊を翻
弄するとは)
 と、オペレーターがこちらに告げてきた。
「中佐殿、後方の本部からの通信が入っております」
「!」
 エリンギは冷や汗を滲ませた。
「判った……こちらに回せ」
 間も無く司令席の前に有るモニターに映像が映った。
『戦況はどうなっておるかね、エリンギ君』
 モニターの向こうには、中年の将校が凝った造りのソファーに腰掛けている。アーリット
基地司令官、プラック大佐であった。
「はっ、間も無く敵部隊を完全に殲滅しきる旨であります!」
『ほぅ。それにしては砲撃が激しくはないかね?』
 太い足を組みながら、プラックはテーブルの上のコーン・パイプに葉巻を詰め、マッ
チを使って火を点ける。
「そ、それは。その……敵の増援が思った以上に手強く」
『ドムが二機のみと先ほど言ったのは、君ではなかったかな?』
 人差し指でパイプをコツコツと弾きながら言う大佐に、エリンギは表情を強張らせ
た。
「は、その……」
『君を見込んで司令代行を任せた、私の立場にもなってくれたまえよ』
「りょ、了解しました閣下。そこで、なのですが……後衛に控えているエース部隊
《アイアン・リュカオン》をこちらにまわしていただけないでしょうか?」
 言われたプラックはパイプを歯で咥え、威圧するように手を組むと、エリンギに睨み
を利かせた。そしてコーン・パイプを手に煙を口の横から撒き散らし、ゆっくりと首を
振った。――左右に。
『ジムスナイパー・カスタムは回せんな、エリンギ中佐。彼等には私の警護という重要
な任務があるのだよ』
「か、閣下!」
『朗報を期待する。以上だ』
 そして一方的に通信が切られ、モニターは黒に染まった。
「中佐……お、応援は来ないのでありますか?」
 オペレーターの一人が、不安なまなざしを向けてきた。
「愚か者、臆するな!戦況は依然こちらが優勢なのだ!」
「はっ!」
 怒鳴られたオペレーターは慌てて向き直る。
「あのドムの映像を拡大して回せ!砲撃の手はけしてゆるめるな!」
 指示通り、司令室の正面モニターに映像が拡大【ズーム・イン】される。縦横無尽に
動き回るドム二機。その中のスモークシルバーに塗られた、ドムには珍しい指揮官機を
示すアンテナの付いた方の機体が映された時、誰かが一言呟いた。
「は、灰色の、死神?」
 ざわり
 司令室の空気に緊張が走った。
「……なに?灰色の死神だって?」「なんだそりゃあ……」「聞いた事があるぞ、ジオンの……」
 口々に伝わるどよめきの中、立ち上がったエリンギは危うく愛用のマドラス・パイプ
をへし折りかけた。
(て、敵はあの、灰色の死神だというのか!?)
 エリンギも聞いた事が有った。ジオンのトップ・エースの一人。《灰色の死神》バン
・ドーン少佐。地上のあらゆる戦場に姿を現し、その度こちら側に多大な戦死者を上げ
ることから、そう呼ばれているという。
 静止映像を見れば、確かにドムの肩口にバン・ドーンのシンボル、伝説上の怪物バジ
リスクが描かれている。あまりの猛毒ゆえに周囲の生物を残らず殺傷せしめる毒蛇バジ
リスク。まさに彼を表すに相応しい象徴だった。
 よもや、その《灰色の死神》が、このアフリカに来ていたとは……!
「中佐、どうすれば!?」「中佐殿!」「中佐」「ご指示を、中佐!」「エリンギ中佐!」
「やかましいっ、全員うろたえるなっ!」
 一喝すると、エリンギは椅子にどかりと座り込んだ。
 不測の事態に遭遇した場合、指揮官が取り乱すのは最大のミステイクだ。それだけは
避けねばならない。冷静さを取り戻すため、エリンギはパイプの葉を変えて火を灯した。
吸い口を噛んで煙を吸い込むと、肺に溜めた紫煙ごとマイナスの感情を吐き出した。
(慌てる必要は無い。こんな事は誤差の範囲だ)
 エリンギは自分に問いかけながら、強気に口元を歪める。
「その通りだ。なんという事は無い。ならば――」
 ぶつぶつと言ってから、エリンギは通信兵に尋ねた。
「《スコール》の装填は終わっているな?」
「はっ」
「N−83ポイントに敵機を誘導させろ。《スコール》発射用意!」
 その指示通りに通信しようとして、オペレーターは再度エリンギに振り返った。
「ですが、その場合だと《スコール》の攻撃エリアに我が方のジム部隊が……!」
「構う事は無い」
 こめかみから頬に汗を伝わせてモニターのドムを視線で射る。
「《灰色の死神》との交換ならば、安いものだ!」
「……り、了解、しました」
 向き直るオペレーターを尻目に、エリンギは静かに言い放った。
「灰色の死神……このアーリットが貴様の墓場だ」


 アーリット採掘基地のトーチカ群の更に後方。岩肌にカムフラージュされていたハッ
チが音を立てながらゆっくりと開いた。中から出てきたのは、延々と広がるミサイル発
射口であった。
 スプレッド・ミサイルという兵器がある。ミサイルポッドの派生型で、《スプレッ
ド》の名のごとく大量の小型ミサイルを敵に拭きつけるように浴びせて倒す武器の事
だ。本来MSが固定武装などにして使用するこの小型ミサイルに目をつけ、更なる開発
を進めた物が、この対MS部隊広範囲砲撃兵器《スコール》であった。
 最大有効射程、半径800メートルに渡って降る小型ミサイルの雨。それはまさしく
アフリカ・ステップ草原の雨季に降り注ぐ豪雨スコールのごとし。先だって七機のドム
部隊を葬り去ったのも、このミサイルの雨の仕業であった。


 モニターの地図に点滅する二つの赤い敵機マークが、トーチカ砲撃の穴に導かれて
いく。
「そうだ、そのままだ、ジオンども……」
 エリンギは軍服の胸元を握り締め、モニターを食い入るように凝視する。
「《スコール》の準備は?」
「はっ、既に完了しております!」
「射程範囲は指示通りに広げたな?」
「はっ!」
「よし、メガ粒子砲狙撃準備【スタンバイ】!敵機の動きが止まった所を見逃すな!」
「了解、サー!」
 《スコール》の絨毯爆撃で足を止めて、メガ粒子砲で狙い撃つ。縦のミサイルに気を
取られていた敵は横からのビーム砲に反応しきれずまともに喰らう事になる。この陣形
を持ってして、エリンギ中佐は今までこのアーリットを守り続けてきたのだ。例え相手
が《灰色の死神》であろうと――
(逃げられはせん)
 そして、マップ上の赤い点滅が、遂に《スコール》の射程圏内に入る。
 司令室の誰もが息を飲む中、エリンギは叫んだ。
「《スコール》発射ぁ!」

                 *

 砲撃の余波に揺れるドムのコックピットで、バン・ドーン少佐は呟いた。
「俺達を誘導しているつもりか」
『……ですな。どうされる?』
 砲撃の着弾点が、作為的な指向性を持っていることに気付かぬバンとワイオネルでは
なかった。このまま行けば、敵は必ずや何かの策を仕掛けてくるだろう。
 だがバンは半ば無意識に操縦桿を操りながら「どうもせんさ」と答える。
「大体憶えたし、丁度いい位置だ――大尉、アレの準備を」
『ほ!もう、ですか。さすがは隊長』
 モニターで大尉が細目を開く。だが記憶した、とは一体何のことか。
 その時、コックピットのレーダーに変化が起こった。
「?」
 バンとワイオネルは、そのレーダー反応を見るや、上空を見上げる。
 まるで悪夢が具現したような情景だった。白い煙の尾を引きながら、何十……いや、
何百ものミサイルが、左舷、右舷の彼方から一斉に飛び上がったのだ。そのミサイルの
群れは、あたかも生けとし生けるものを喰らい尽くすイナゴの大群のように、バン達の
居る上空を覆い尽くした。
『!こ、これは……少佐!?』
 さしものワイオネル大尉も狼狽を隠せずに声を漏らす。
 だがバンは長い前髪から覗く眼差しを細めた。
「なるほど、こいつが狙いか。だがサイズが小さいし、弾も集中させていない。おそら
くはその後のメガ粒子砲で止めが本命……いい陣形だ」
 しかしすぐさま、く、く、く、と唇で弧を描き、バンは言葉を紡いだ。
「が――相手が悪かったな」
 通信回線を開く。
「大尉、発射角を45から30に修正!問題無しだ、仕掛けるぞ」
『了解した!』
「《ヴェノム》散布!!」
 命令と共に操縦桿のスイッチを押す。
 横に滑りながら疾駆中のバンとワイオネルのドムが、すかさず両方の腰に下げていた
MSサイズ擲弾筒《シュトゥルム・ファウスト》に似た武器をトーチカ群に向けて計四
発――射出した。
「クラッカーを合図と同時に放り上げてミサイルの誘爆を狙う!弾薬に当たらないよう
に注意しろ!」
『了解。……やれやれ、老骨にはちと厳しそうですわい』
 肉薄するミサイルの雨の下で、二人のジオン兵は近づく勝利を疑う事無く笑い合って
いた。

                  *

「ム!」
 ドムが撃ってきた榴弾を迎撃砲台が狙撃した時、エリンギ中佐は眉間に亀裂のような
皺を寄せた。
 迎撃した弾頭が《白い爆発》を起こしたのだ。そのミルクのような白色は、早朝の
濃霧のように辺りを包んでいく。
「煙幕【スモーク】……いや、レーダー撹乱幕【チャフ】か?」
(この期に及んで悪あがきをするじゃないか、《灰色の死神》)
 通常のミサイルならそれで効果を落とす事も出来たかも知れない。だが、《スコー
ル》の徹底広範囲攻撃にとって、意味ある行為ではない。そして。
「くだらんな!それが貴様の策だと言うのか」
 一笑にふして、エリンギは檄を飛ばす。
「敵MSの動きは予測可能だな!?」
「はっ!」
 そう、いかに夜間で視界が悪くなっているとは言え、その程度の煙幕ではミノフスキ
ー粒子に対抗した砲台の管制機能を狂わすことなど出来はしない。対して敵MS側の視
界は完全に覆われ、今や普通の砲撃をかわす事すら難しくなっているだろう。エリンギ
中佐の言葉通り、悪足掻き以外の何者でもないのだ。
「まだ撃つなよ。ビームは《スコール》が着弾してからだ……」
 罠にかかった獲物を撃ち殺す狩人のごとく、エリンギはモニターを見つめていた。

                  *

「ここだ!手持ちのクラッカーをありったけぶちまけろ!」
 降り注ぐミサイルの嵐の下、二機のドムは手にした弾頭炸裂手榴弾【クラッカー】を
前方の上空に放り投げた。
 クラッカーは小型ミサイルに触れるや否や、放射状に金属片を巻き散らし、周辺の
ミサイルを空中で一斉に爆発させた。その爆破が近くのミサイルの誘爆を引き起こし、
また別のミサイルに。爆裂が波紋の様に一気に膨れ上がり、衝撃の余波と爆風がバン達
の機体を容赦無く殴りつける。
「……ぐぅ!」
 震動するコックピットの中、舌を噛まぬようバンは歯を噛み締めた。誘爆を引き起こ
すには成功したが、あくまで一部に過ぎない。《スコール》の小型ミサイルが次々に着
弾し、揺れを次第に増加させていく。重装甲のドムとは言え、耐えれるかどうか。
 だがバンは操縦桿を放しもせず、それどころか微動だにせず姿勢を保っていた。鍛え
抜かれた濃密で分厚い筋肉は、バンの姿勢を固定し崩す事は無い。そして、バンは煙幕の
向こう――メガ粒子砲台の有る方向を眺めて禍々しい笑いを浮かべた。
(さぁ、撃って来い連邦。だがもう手遅れだ。バジリスクの毒は噛まずとも、触れずと
も……風に乗って全てを殺し尽くす)
 ミサイルの連撃に身を晒し、傷ついていく二機のドム。その肩に描かれた毒蛇、死神
の鎌に絡みつくバジリスク。バン達の撒いた煙幕の白煙が辺りを包み隠していく様は、
まさに恐るべきその毒がアーリット基地全体に、ゆっくりと広がっていくかのよう
だった。

                  *

 煙に包まれて明瞭には見て取れないが、爆光と轟音が一斉に渦巻いた。小型ミサイル
の豪雨が遂に牙を剥いたのだ。
「《スコール》次々に着弾!」
「まだだ!完全に動きが止まるのを待つのだ!」
 エリンギ中佐はコンソールに腕を突っ張り、前のめりに指示を飛ばす。
 焦ってはいけない。けして焦ってはいけない。狩りに焦りは禁物だ。特に獰猛で巨大
な獣が相手であるほどに。死神を狩るなど聞いた事も無いが、あのMSの中に居る化物
に対して慎重に過ぎるという事は有るまい。
「まだだ……後八秒、七秒……」
 言葉を喉元に止め、計器に爪を這わせ、冷や汗を顎先から滴らせながらエリンギは
ゆっくり息を吸い、吐く。
(三秒、二秒……)
 一秒。
「メガ粒子砲台、前三門同時射撃!撃てえぇぇ――ぃっ!!」
 堪えていたあらゆる感情をこめ、エリンギは司令室中の空気を震わせた。
 指示とほぼ同時に、司令室前方の映像モニターに鮮烈な閃光が走る。
 それはカーソルの向こうに釘付けになっているドムのボディを粘土細工のように引き
千切る、戦艦の主砲並みの砲撃だった。紅きビームの一閃が瞬時に敵MSを粉砕する様
を司令室にいる全員、警備に控えている一般兵までもが期待の眼差しで見た。
 そして間も無く、その全員が我が目を疑った。
 三条の烈光は、いずれも敵に命中しなかったのだ。
(……何だ!?今のは……!)
 今し方の不可解な光景に戸惑いつつも、エリンギは続けて叫ぶ。
「第二射、撃てぇ!」
「りょ、了解!」
 即座に、再びメガ粒子ビームが唸った。だが今度こそエリンギ中佐以下の司令室の一
同は、はっきりと見て取った。
 砲台から敵機に撃ち出されたビームは、白い靄の中に入った途端――急激に細く淡く
なって行き、遂には量産型MSの使用するビーム・スプレー以下にまで弱まってしまっ
たのだ。
「ビ、ビームが……散ってしまいます!当たりません!?」
「何だとぉぉぉっ!?」
 オペレーターの声に答えるまでも無く、エリンギはパイプを握り締めて椅子を蹴って
いた。

                   *

「くくくくく……」
 メガ粒子拡散イオン幕《ヴェノム》の効果にパニックに陥っているであろう敵の様子
を思い、バン・ドーン少佐は損傷したドムの中で肩を揺らしていた。
「くはは!くははははッ!当たらんなァ?どうした連邦!」
 チェスの局面が思い通りに行った指し手のように、愉快そのものといった笑いを溢れ
させるバン。
「さァ、雨は上がった。反撃開始と行こうか!大尉、準備はいいな?」
『はッ!』
 白い靄の中で、二つのドムは巨大な大砲の鎌首を持ち上げた。駆る者と駆られる者
――その立場が今、逆転しようとしていた。

                    *

「二番メガ粒子砲台、被弾!げ、撃破されました!」
「げ!?撃破だとッ!!」
 狼狽収まらぬエリンギの耳に入ってきた言葉は、彼の理解を更に超えるものだった。
「中佐!一番、三番メガ砲台も同じく被弾、撃破ぁ!」
「八番、九番トーチカ……次々に破壊されていきます!」
「どういうことだっ、奴等の位置からこちらは見えん筈だ!」
 前面モニターの格砲台からの通信画面が、見る間にノイズ映像に変化していく様を
エリンギは報告とともに見て取った。メインモニターに映る敵の姿は、以前白煙に包ま
れたままだ。
(有り得ん!砲台のコンピューターよりも優れた管制機能を備えたMSなど存在する筈
は無い!だ、だが……ならば、何故!)

                    *

「大尉!17の32だ!」
『了解!』
 バンの叫ぶ発射角に合わせて、ワイオネルのドムはバズーカを撃ち放った。そして
その弾は、煙幕の向こうのトーチカへと命中し、破壊する。間髪入れずにバンも自機の
バズーカを斉射しトーチカを殲滅していった。
「五分はちと過ぎてしまったが、ま、大して変わりはせんさ」
 呟きながら、バンはバズーカの弾薬を補充する。
 そう、彼は――バン・ドーンは砲撃を避けている間に敵の布陣、トーチカや砲台の
位置を周辺の地形を含めて全て記憶してしまっていたのだ。だからこそ、この最悪の
視界の下で移動しつつ敵へ反撃が行えるのである。それを可能としているのは、ひとえ
に彼の卓越した記憶力と、パイロットとしての勘であった。
 《ヴェノム》を用いた、彼以外には誰にも真似できぬこの戦法こそが、彼を《灰色の
死神》と呼ばしめている要因の一つなのだ。ミノフスキー粒子によってレーダーが役に
立たぬ戦場で、視界の確保は深刻な問題だ。そしてそれを利用するのが、バンの狙いで
あった。
 そして事実、今、連邦軍の強健な防衛線が崩れ落ちようとしていた。

                    *

「四番五番、応答有りませんっ!」「こ、このままでは……中佐!?」
 べきり、と気に入りのパイプが折れた音も気にはならなかった。顔面を洗顔後の様に
汗で濡らしながらエリンギは固く、固く握り締めた拳を計器類に力任せに叩き付け、
怨嗟を吐き出した。
「灰色の……死神ぃ!」
 と、司令席に備え付けのモニターにホットラインが繋がる。映し出すと、画面に浮か
ぶ将校は鷹揚な態度でパイプを吹かしていた。
『苦戦しておるようだな、中佐』
「し、司令閣下……」
 顔を上げるエリンギ。
『隠す必要は無い。何でも敵は大層なエースらしいではないか』
 背もたれに身を預けるプラック大佐。その顔にはいささかの逡巡も畏怖も色を見せて
いない。ただ、エリンギ中佐の失態を穏やかに糾弾しているだけだ。
「ま、真に遺憾ながら……間も無くこの防衛ラインは突破される事と思われます。かく
なる上は、我々が決死できゃつら奴を足止めしますゆえ、どうかそれまでに後方の陣形
を整えられください!」
 自分の言葉に、エリンギの目に再び光が宿る。そうだ。たとえトーチカ群が突破され
たとしても、このアーリット基地の防衛部隊全てがやられた訳ではない。
 確かに後方の守備部隊は戦力的に我々より劣っているだろう。だが敵方に与えたダメ
ージは、決して浅くは無い。事実先行部隊には大打撃を食らわし、おそるるべきあのド
ム達も、《スコール》によって無視できぬ損傷を受けている事だろう。ならば後方にい
る我が軍きってのエース部隊《アイアン・リュカオン》を持って残りの戦力をぶつけて
やれば――
(勝機は十分に、有る!)
 となれば、ここでどれだけ奴等に食い下がれるかが勝敗の分かれ目となるだろう。砲
撃一発、機銃の一斉射でも当てて被害を与えるのだ。
 だが、プラックはそんな彼の決意をよそに、奇妙な発言をした。
『中佐、君が何を言っておるのか私には理解しかねるが……そろそろ切らせて貰うよ。
通信が限界のようなのでね』
「……は?」
 ゆっくりと煙を吐き出す司令官のセリフに口を開ける。何を言っているか理解できな
いだと?それはこちらが言いたい、とエリンギは思った。オペレーターがこう知らせる
までは。
「中佐!後方の本部基地より、我が軍の輸送機が――四機!発進……すると」
「なっ、なに……!」
 その通信兵の表情を見て、おそらく自分もそんな情けない顔をしているだろうとエリ
ンギはふと思った。
 見捨てられた者の、絶望の表情。
「司令、あ、貴方は!」
 コーン・パイプを咥えたまま、プラック大佐は肩を揺らして笑った。今更気付いたの
か?この阿呆奴【め】。そういう笑いだった。顔の前に指を組み、画面を覗き込むよう
にして、プラックは重々しく告げた。
『優秀な将校というものは、だ。いついかなる時でも自分がまず生き延びる事を優先に
考えるものなのだよ』
 あまりの事態に一言も返せぬエリンギ。
『君は少し果敢すぎたな、エリンギ君』
 画面が消える前に投げかけられた言葉が、エリンギ中佐が最後に聞いた司令の言葉だ
った。
 エリンギは黙ってうなだれると、がくりと膝を着いた。既にオペレーター達の悲鳴も
耳には入っていなかった。


 アーリット採掘所は、かくしてジオン軍の手に渡った。

                 *

 山岳を抜けてウノとジュウロウのグフが奇襲をかけた時、採掘所基地本部は殆ど抵抗
らしい抵抗を見せなかった。敵司令官が自らの親衛部隊をMSごと引き連れて脱出した
事を知ったのは、本部に残された哀れな兵達の言からであった。
 もしもバン達を迎え撃たんと布陣を敷いていれば、背後からのウノ達の攻撃をまとも
に受けて捕虜となっていたであろうから、臆病な敵将の行動は結果的には正しかった事
になる。
「連邦の馬鹿さ加減までは予測できなかったな」
 そう言ってバン少佐は頭を掻いた。
「味方を切り離して逃げるたぁ、アースノイドってのはつくづく見下げ果てた奴等だぜ」
 そう吐き捨てるジュウロウに、ウノが「あら、貴方は違うの?」と尋ねる。
「しねぇよ、ンな真似!」
 そんな二人を見てバンが笑う。
「だいぶ仲が良くなったようだな、お前達」
「どこ見てぬかしてんすか!隊長!」
 牙を剥くジュウロウだが、ウノは頷いてみせた。
「そうですね。出来の悪い弟ができた、といった心境でしょうか」
「ふむ」
「大尉も!『ふむ』とか言ってねぇで!ったく、こんなはねっ返りとなんざ二度と組む
のはゴメンですぜ」
「ちょっと!上官に対して何なのその態度は!」
 言い争いだした二人から視線を逸らし、バンはミーティングルームの窓から闇に染まっ
たアーリット基地を見回した。
 せわしない基地内部とは対照的に、戦場であったその場所は、今では夜の静寂さに包
まれて沈黙している。
 ひたすらに広がる荒野には、撃墜されたMSや戦闘車両の残骸が散らばっているのだ
ろう。それらは暗闇で見えないが、朝日とともに姿を現し、戦いの残滓をまざまざと見
せ付けてくれるに違いない。
 そして朝になれば、自分達には新たな戦場が待ち受けているのだ。
 星空を見上げる。
 あの遥かな宇宙【そら】でも、人は争い、戦いに明け暮れているのだ。互いの信念の
ため、理想のため。私利私欲のため、あるいは自分以外の誰かのために、殺し合い、奪
い合う。何百年、何千年も同じ事を繰り返してきたのだ。この戦争が終わっても、おそ
らくは、また。
 そんな事に思いを馳せている自分に気が付き、バンは息をつく。
(くだらん、な。こんな事を考えても何にもならんことは判っているのに、何を感傷に
浸っている?)
 自嘲して窓から目を放す。疲れているせいでこんな事を考えてしまうのか。こんな時
はさっさと寝てしまうに限る。
 と、部屋の中に自分とワイオネルだけになっていることに気付き、バンは尋ねた。
「大尉、あの二人はどうした?」
 ワイオネルは腕を組んだまま、片眉を上げた。
「決着をつけるとかで、シミュレーションルームに走っていきましたよ、つい先ほど」
「おいおい……タフな奴等だ」
「全く。羨ましい限りですな」
 バンとワイオネルはそれぞれ口元を歪めあう。そして、どちらからともなく吹き出
し、笑い合った。


「何読んでんだ、クライフ?」
 基地の脇に設置された野営テントで、クライフ伍長は呼び掛けられた。その人物を一
瞥するとクライフは黙って長くなった煙草の灰を落とした。呼びかけた男――チムルは
隣に座ると自分の煙草に火を点けた。
「ひどい格好だな、お前」
「けっ。お互い様だぜ」
 疲れきった顔を更に苦くして、チムルは煙をはきかける。
 可動不能になったMSを抜け出した二人は、敵兵に見つかって危うく捕虜になりかけ
命からがら逃げ出してきたのだ。もし捕まっていたなら捕虜どころかリンチにかけられ
て死んでいたかもしれない。末端の兵士達は条約など知ったことではない。最悪、もと
から知らない。
 占拠したばかりの基地内はごった返し、二人のような軽傷者は自分で治療するしかな
いと衛生兵に言われた。銃弾を受けていようが、貫通していれば軽傷とみなされるとい
う事を、クライフは初めて知った。だが俄か作りのベッドの上で手足を無くしてうめい
ている兵士達の前では反論も出来ない。
「……俺は生まれてこの方あんな痛え注射は食らったことねぇ」
 肩の刺青をさすりながら呟くチムル。自慢の刺青は包帯の下だ。
「地球のウイルスはおっかないからなぁ」
 地上にジオン軍が攻め入った当初、環境管理されたコロニーを故郷とするジオン兵は
急激な環境変化に度々苛まされた。風土病はその最たる物である。免疫の低いスペース
ノイドの中には、マラリアやインフルエンザを未知の生物兵器と勘違いした者もいたほ
どだ。
 今となっては笑い話だが、当時の兵達の恐怖は尋常ではなかったろう。
「ま、何にしろ。生きてるってのはめでたいよ」
 クライフはそこまで言うと煙草に口をつけ、咳をする。
「お前確か煙草は吸わないはずだろ」
「そっちこそ、やめたって言ってたろ。チムル」
 二人は目を合わせずに煙草を吸った。
「さっきな、戦死者のリストに――」
「俺も見たよ」
「……煙草が好きだったもんなぁ、あいつは」
 羅列されている戦死者の名前の中に友の名を、アーゼン・グローコフというスペルを
見つけた時。クライヅは「あぁやっぱりな」と思った。それだけだった。基地について
から、パイロットの支給所に姿が見えなかった時に既に確信していたのかもしれない。
「そんで?何読んでんだ、お前」
 話を戻され、クライフはタバコの火を揉み消した。
「出撃前に故郷【くに】から来た手紙だよ。任務が終わってから読もうと思ってた」
「けっ、女かよ。およろしいこって」
 益々ふてくされるチムルにクライフは黙って手紙を突き出した。いつも力づくで奪わ
ない限り、けして手紙を見せない友の行動にチムルは眉をしかめる。
「よせや。こちとらのろけなんざ見たくも……」
「見ろよ」
「……あぁ?」
 渋々手紙を受け取るチムル。だるげに文面を音読する。
「『好きな人が出来ました。優しくていつも私の側にいてくれる人です。貴方もどうか、
そちらで素敵な人を見つけてください……さようなら』ぁ?」
 そこまで読んでチムルは手紙を読むのを止めた。というよりこれ以上何も書いてない。
「ひどい話だよな」
 ぼやくクライフ。あちゃあ、という顔のままチムルは手紙を返した。これは厳しい。
有る意味、戦場で受けた傷よりでかい。
 しばらく黙っていた二人だが、やがてクライフが切り出した。
「……ま、だから生き残れたのかもな。俺」
「何?」
「なんだ、知らないのか?戦争映画じゃな!故郷に女がいる奴から死んでいくモンなん
だよ!」
 やけくそ気味に怒鳴り散らすクライフに、チムルはしばらく口を開けていたが、じき
に「カッ」と舌を出してみせた。
「カハハ!じゃあこいつはラッキーな手紙ってわけだな、ええ!?」
「あーそうだよ!幸運の女神様からの送りモンだ!文句あっかこん畜生!」
 言ってクライフは手紙を引き千切り、細切れにして放る。砂混じりの風が吹いて、
それらをちりぢりに舞い散らした。怒鳴るだけ怒鳴って切らした息をクライフが整えた
頃、チムルは自分の煙草を踏み消して、促した。
「……とっとと寝るか?」
「そうだな。明日はきっといい日だろうさ」
「今日より最低な日なんて、考えたくもねぇよ」
「まぁなぁ」
 自分達のテントに向かいながら、クライフは「けど」と呟いた。
「前にも、そんな事言ってた気もするんだがなぁ……」
 溜息をつく友の肩を、チムルはそっと叩いた。
 昼間はあれほどうだるアフリカの大地は、うって変わって寒々しかった。



 第六章 弾雨のアーリット(後編)  了

 第七章 蒼穹の蒼騎士  に続く


・あとがき
 『俺ガンダム小説』の華とも言うべきオリジナル兵器の登場です。
 ビーム撹乱幕の地上用といいましょうか。
 本来的にはジオンの方もおそらく早期に考案していたはずだと思い
 こういった形で出してみました。

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